Fargreen Journal Corner: ソリューションを追い求めた長い道のり

 
 
Trang Tran at Brigham Young University
 

謹啓

Fargreen代表のTrangです。

長雨が幸いし、猛暑も和らぎ、私たちにとっても、キノコにとっても過ごしやすい期間が続いています。私たちにとって夏とは、決して楽しめる季節ではなく、良い結果を伴わない厳しい季節です。酷暑による収穫量・販売数の減少は、私たちの収入にも多大な影響を与えます。厳しいシーズンを乗り越えた今、多量に舞い込んでくる注文を、より一層心嬉しく思っております。

私はこれまでの人生で”もがき苦しむ”といった経験をしたことがありません。もちろんスタートアップは軽い気持ちで始められるものではなく、農業でのスタートアップは過酷なことには変わりありません。

“苦しい時こそ汗をかけ”という言葉は最近の私のモットーとなっています。趣味であるランニングは、私にとって精力的に動き続けるために必要不可欠な存在となっております。時にカラダから感じる呼吸や感覚は、私たちが健康であり、活発に動いているということを感じさせる重要な要素であり、健康な体に感謝の念を覚えます。そして数日前、ようやく私たちの商品の1つであるヒラタケの季節が始まりました。

ここ2、3か月の間、多忙を極め、ブログを更新できておりました。数か月前にブリンガムヤング大学にてソーシャルイノベーションに関するコンテストが開催され、大変光栄なことに我々Fargreenがその研究題材として選出されました。今回そのコンテストにて取り上げられた課題をご覧のみなさまに共有させていただきたいと考えております。また、私のスピーチ全編についてはリンクをご参照ください。 

 

~ソリューションを追い求めた長い道のり~

私はベトナム北部にある小さな町で育ちました。私の家族で高等教育を修了した者はおらず、大学に進学するなど夢のような話でした。私が生まれた1986年という年は、ベトナム政府が”ドイモイ政策”を敢行し、経済を活性化させた年であり、戦争が残したよどんだ雰囲気や、旧体制の誤ったシステムを一新させた年でした。

成長するにつれて、私は故郷で起こる数々の大規模な変化をこの目で見てきました。経済政策により地方自治体は私の実家の裏手にあった美しい川の大半を埋め立て、宅地開発に乗り出しました。父と遊び、時には飲み水としてさえ使うことのできたあの美しい川が、飲むことも、泳ぐこともできない...その近くで息をすることも時には憚れるほど黒く汚い川へのその姿を変えてしまいました。

日に日に汚染されていく大気の中で育ち、汚染により天候を予見することも難しくなり、農業は衰退し農作で生計を建てれなくなった多くの農家たちは、職を求め都市部へと姿を消していきました。そのような光景を見てきた私にとって”発展とは何か”を理解することができませんでした。そして社会問題や環境問題、その解決を学ぶことで国際発展の場に身を置き、いつの日かこの手で地方創生を成し遂げたいと思うようになりました。

これまでベトナム各地や東南アジア諸国を巡る機会が多くあり、そして数多くの社会課題解決の現場を目にしてきましたが、その大半は現地の人々の自助努力によるものではなく、他者からの寄付や協力によるものであり、そのため、その解決は持続可能なものではなく、一時的なものでしかありませんでした。これらの経験は私を悩ませると同時に、持続可能な発展を勉強をすることを決心させるきっかけとなりました。そしてビジネスを社会問題や環境問題を解決するツールとして使おうと考えたのです。

5年半ほど前に私はMBA取得のためにアメリカへと旅立ち、国際社会と持続可能な事業への研究を始めました。決して実業家を志したわけでもなく、”entreprenuer(実業家)”が何を指すかすら知らないほどでした。また、特別なビジネス経験があるわけでなく、経験といえば幼いころに両親の手伝いで地元の屋台で食品を売ったことがある程度のものでした。私のようなシャイなアジアンガールがまさか起業できるなんて思ってすらいなかったのです。

私がMBAを志したのは、あくまで学びへの探求心でした。

私が初めて起業クラスの授業を受けた際に、教授が言った一言が「起業家になるための第1歩は、あなたが何に対して”くそったれ!!”と思うか」というものでした。

「それならたくさんあるわ」と思ってしまったのです。

ベトナムだけでなく、多くの国の農家が行っている、「焼き藁」という収穫後の米の藁を焼却処分するこの”くそったれ”と言いたくなる悪習慣を私は目にしてきました。この環境破壊と健康被害をもたらす悪習慣は、決して地域特有の問題ではなく、国中に蔓延する深刻な問題だったのです。また、この問題は非常に複雑な社会課題を孕んでおり、私一人が解決方法を考えるには余りあるほど大規模な社会課題でした。

私がMBAに通い始めた理由は、困難な社会課題や環境問題の打開方法を学び、果たしてそれらが本当にそのような問題を解決できるかどうかということでした。そして、MBAこそトライ&エラーを通じて学ぶ最適な場所なのではないかと思うようになったのです。

そしてFargreenの起業もこの考えを元に始めました。始めに問題についてよく考察し、他者がどのような解決を試みているかをよく考察し、それらの経験からより深く、新たな理解を得た後に、最善の策を導き出します。

この行程はまさに終わりのない、長く遠い道のりだと言えると思います。またこれまでの私のFargreenを設立した経験から言えることは、この行程こそが社会課題に向き合うためのすべてだと考えます。また、もしこの行程で十分に理解が得られたとき、はじめてその問題の正体が見えてきます。

例えば私が焼き藁について考察を始めたとき、焼き藁という行為そのもの自体が問題であり、どのような手段であれ焼き藁を止めれることができれば解決すると考えていました。

そしてカルフォルニアや日本の野焼き撲滅に向けた活動から多くを学びました。いくつかの地方自治体はすでに野焼き撲滅に向けた活動に取り組んでおり、どの団体も成功していないということがわかりました。それは決して技術的な問題が原因なのでは無く、郊外の複雑な環境が織りなす社会問題に原因がありました。そして我々ベトナムのような米を多く輸出する国家において、この問題の深刻さは輸入を主とする国々のそれとは大きく異なるのです。

問題は藁焼きのその行為自体ではなく、どうして農家たちが藁焼きを行ってしまうかです。我々が農家を叱り、それらをやめさせればよいのでしょうか。彼らが限られた知識しか持ち合わせておらず、環境破壊や健康への影響について何も知らないことが原因なのでしょうか?

我々は農家たちにインタビューを行い、決して今私が挙げたような理由で彼らが藁焼きを行っているのではないことがわかりました。藁焼きの際に彼ら全員がマスクをして煙を避けていることからもわかる通り、彼らは大気汚染や健康被害について既に認知しています。つまり、藁焼きがいかに悪影響を与えるかの理解を広める行為はもはや必要ではないのです。

では何が問題なのでしょうか?我々はさらに農家へのインタビューを進め、我々こそが十分に知識がなく、見解が誤っているうちの一人であったことを痛感しました。

確かに農家たちはもっとも安く、手早く、便利に不要物を廃棄し他の農作を始められるからこそ、藁を焼却処分します。農業は重労働で、常に需要に応えようと必死で働いています。私たちがそうであるように、彼らや彼らの家族をケアすることを十分に考慮しなければなりません。

“どうすれば彼らが藁焼きをやめるか”を追及するのではなく、我々は”藁焼きをしないことで彼らにどのようなメリットあるのか?”を考え始めました。この問いは我々Fargreenがこの問題に向き合うにあたり、非常に有益な問いでした。”農家たちにとって藁焼きをしないメリットはなにか?持続可能的に藁焼きをやめた時、どんな利益を享受できるのか?”そして”我々Fargreenと活動をともにすることでどんな利益を彼らに与えられるのか…?”

このような営みはMBAでは至って普通のことでした。我々が新しいパートナーと仕事を始める時、常に最良の提案・最良のスタートを切るために、常に我々は質問をぶつけ、理解を深めるのです。

利益重視の関係ではなく、“パートナー”という関係がカギだと考えています。”他者に何かを与える”というフェーズから”他者に何かを提案する”というフェーズに移行した時、はじめて我々は他者との協力関係を築くことができると考えます。

我々Fargreenはこうして彼らが決して廃棄したり、焼却処分していた時代に戻りたいと思わないような、農家たちにとって廃棄物である稲藁を有益なものに変貌させるソリューションを提案することを決めたのです。

稲藁の活用方法は様々で、家具や飼料や発電に応用することができます。これらの活用方法は確かに素晴らしいのですが、それらを始めるための費用は莫大で、かつ今後の100年先の未来を見据えた革新的なソリューションかと言われると、些かありきたりのようにも思えました。

そして我々は稲藁でキノコを栽培する農法を見つけたのです。それは美味しいキノコを作れるというだけでなく(私は食通を自負しているのでそれだけでも嬉しいのですが)、廃棄物として扱われていたものがキノコを育み、さらにその後肥料として土に帰っていくという点が最も重要なポイントでした。これこそが無駄のない持続可能なソリューションではないでしょうか。

こうして私は、稲藁の焼却を止めうる完璧なソリューションを見いだせた…というわけでは決してありません。見聞きしただけのものは単なるアイディアであり、それをソリューションとは言えません。アイディアをソリューションだと勘違いして失敗する経験を私は数多く経験してきたからこそ、わかっていました。

もう少し説明すると、私がFargreenを創業した当初は、農家たちに稲藁からキノコを栽培する方法を教え、農家たちが育てたキノコを我々が買取り市場への流通させるビジネスモデルを採用していました。

これを聞いて、「どこに問題があるの?」と思うかと思います。このビジネスモデルにはいくつかの欠陥があったのです。

まず第一にこの、いわば前時代的と言えるキノコの栽培方法は、多くの労働力を必要とします。しかし専業で稲作とキノコを栽培できる農家は数少なかったのです。

2番目に、農作の難しさが課題でした。その時既に多くのキノコ農家たちが害虫による被害や、凶作にあえいでいたのです。

そして最後に、キノコの品質管理と販路確保もまた問題の1つでした。

そしてさらに、他のキノコ栽培方法でも我々の当時の栽培方法でも共通していたことが、藁や胞子をプラスチック製の容器を使って栽培し、その後その容器を廃棄処分するというものでした。環境保全のために始めたはずの私のビジネスが、また新たな環境問題を助長してしまうというジレンマに直面したのです。

この経験は問題解決に向けて、深層まで深くその仕組みを理解するという習慣のきっかけとなりました。良いソリューションを生み出すだめには、インプットやアウトプットに集中するだけでなく、事象に介在している過程や仕組みにも気を配る必要があるということを学びました。

仕組みを変えるということがいかに難しいかということは、我々はよく熟知しており、注意深い考察を欠くことがあればまた別の新たな問題を生むということもよく理解することができました。日々、いかに昨日までの私の知見が狭かったかということをよく実感します。それほどまでに完全に問題を理解し、解決策を考案するということが難しいということを理解できたのです。たとえ自身が、毎日問題に向き合っている唯一無二の存在であったとしても同じことが言えると考えています。

いくつかFargreenがこれまでの数年間で行ってきた活動例を見てみましょう。これらがいかにしてFargreenをアイデアレベルから今日の姿に変貌させて来たかが分かると思います。(もちろん中にはまだ成功と言い切れないものもありますが)

1) チャレンジとは複雑で、様々な事実関係が織りなした結果から生まれるものであるということ。 そして理解することや、調査をすること、問題の本質を探求することに時間を費やすことは、革新的かつ実現可能な解決策を考案するためには非常に重要であること。

2) 志や情熱を共有し、互いに高め合い、重要なフィードバックを貰える人々と行動を共にすることは、  自身のアイデアや経営方針をより崇高なものへと変貌する手助けとなりうるということ。

3) そして最後に、成功へのプロセスを勝ち得ることとは、ジェットコースターのように乱高下を繰り返すものであり、最後までやり遂げるという強い意思が必要であるということ。

人々がよく「意思があるところに道あり」と言うように、世界をより良いものにしたいという意思があるのであれば、たとえどれほど時間や労力、根気が必要であろうとも、我々は必ずしやその意思を実現できると信じやみません。

ご愛読ありがとうございました。